2010 | 10 | 26 | TUE

原因不明の動作の鈍さに困っている。

line


2010 | 09 | 28 | TUE

涼しいここ数日。あんなに長く激しかった残暑が嘘のようです。気象って不思議ですね。

やることが結構まったり頭の中にあって、別に特別忙しいわけではなく、かつ別段暇すぎて死んだ方がマシ、ということも無く、考えること、作業、諸々脳みそにぶる下がってぼんやり状態のここ数週。その間に世の中は剣呑な感じになり、良く知らないけどイヤな感じの人を見たりしつつも、まぁ平和、という状態なわけです。が、自己において年々時間がなくなってきているのは事実であり、それは年の所為で思考、肉体のスピードが遅くなっているからかもしれないけれどあまり実感を伴ってはいない、という感覚の類いの時間のなさとでも言おうか、極めて抽象的な感覚に属する時間感覚の自転の遅さ、かつ公転速度の早さとの差異の実感に於ける時間のなさの実感という感じ。相対的かつ確信を持って絶対的感覚における時間感覚の変化を経過しているわけであります。領土化と脱領土化の問題もそこには絶対ある。

line


2010 | 09 | 15 | WED

ここ2、3日、でちょっと秋らしくなってきた東京
気付けば東京のデザインウィークまであと1ヶ月とちょっと。今年はメジャーなイベントには参加していませんが、10/29〜11/3にかけ、青山のカフェ「OFFICE」にてFLASKの新作(これがなかなか実験的で良い出来になりそうなのです!)の展示を行ないます。いよいよ準備を本格的に行なっていきますが、とても楽しみです。abodeのアイテムの中でも、結構異色のアイテムになるんではないでしょうか。

さて、そんな今日この頃ですが、2010年もとっくに3分の2が終ろうとしており、といっても胃だって3分の2くらい切除しても人間生きていける現代において、1年の3分の2くらいでガタガタするなというものだが、まぁガタガタしたりして。それが人間というものなのかな違うかな?というここ最近の感じ。最近の時間感覚の変化(領土化/脱領土化とかが関係あるのだろうか?)と、生活の在り方の変化などが、日常においては大きくはないが深い変化の最中にあるのではないかという感覚があります。もちろん死も含めての日々の生活ということですが。死だって生だしね。

line


2010 | 07 | 14 | WED

ここ暫く、更新が月一のペースになっているな・・・。もうちょっと豆更新にしないとな。

7月もすっかり半ばとなり、東京もそろそろ梅雨明けか・・・で蒸し蒸ししたここ数日。6月がとても早く過ぎ去り、その余韻で7月前半もあっという間、いやあっちゅう間いやアッチュマー。という感じか。今年もいよいよ後半に入り、スケジュールを確認した途端何だかもう年末、という感じがするので人間怖いですね。そんな感じで2010年ももう終わりな感じ。さよなら00年代。ようこそ10年代。

どんどん変わる。変化大歓迎。

line


2010 | 06 | 09 | WED

何だか年々、時間の経過が早く感じられますね。気づけばもうすぐ今年も半分が終ります。別に暦に縛られる必要は全くなく、それは時-空ですら、不可逆的な時間や、ユークリッド幾何学に縛られる必要はないわけで、プランク時間やミンコフスキー空間などの視点から暦を考えれば、それは全く別の見え方をするに決まっているけれど、それでもまぁ、半年経つのは早いなぁ、と考えてしまうわけです。で未来というものの存在をを否定する立場に立った上での現在について考えると、まぁやることは結構あり、それをやらないことには現在もありはしないぞ。というね。

line


2010 | 05 | 30 | SUN

先日初めてにんにく注射を打つ。ビタミン注射も同時打ち。やっぱり効きますね。が、もう3徹など無茶はしないと決める。

実は2徹で済む予定だったのだが、まぁ物事というものは自分で決めた予定に対し、予測不可能かつコントロール不能にして時に理不尽かつ暴力的、しかし別の側面からは大変合理的で納得のいく、系でいうと複雑系、コントロール不可能という限りにおいてのみ、到不可能性という限りにおいてのみ外力と呼ぶことができるような外力、断絶をすり抜けて瞬間移動的とでもいうような外力が働くため、予定通り行くわけはなく、そもそも自分で立てた予定自体の見通しの甘さと低い精度、過信と無根拠な楽観などまずもって怪しいので、取りかかりのための言い訳がましいガイドライン程度の信用しかおけないのである。ということを重々承知している上でさらに物事はコントロール不可能である、ということである。以上。

line


2010 | 04 | 19 | MON

進んでいるのか進んでいないのか良くわからないが、歳だけは確実にとっている実感。というここ数週。これはきっとここ最近の天候や気温の不安定加減も影響していると思う。人間も自然である。というね。作業場の整理が中途半端な形で止まっているのも良くないが、エントロピーの増大が殆どないのが救いといえば救いだが、別の見方をすれば、それ故に中途半端な形でだらだらきているといえなくもない。消費を意識することで整理整頓を押し進める、という計画に立ち戻るときがきたようだ。比較的単純な動機で立ち直る仕組みを考えるのが自分なら、それにそう簡単にだまされなくなっているのも自分であり、更にそれを客観的にみつつニヤついているのもまた自分である。というね。生き物然とした・・・。

line


2010 | 04 | 07 | WED

早いものでもう、4月という感じの4月。毎年言っている感じがするけれども、言う。それが人間、という感じ?という感じ。

別に?、という感じで3月〜来ているが、やることが結構溜まっていてムズムズしている。見かけ上絡まり合っているので、手を付けるのが億劫になっている案件がいくつかあるが、面倒くさがらずに1つ1つをゆっくり整理していけば、お前の抱えていることなどたったのこんだけだ。的に肩すかしを喰らうことが多々あることは重々承知しているので、「面倒くさがらないことを面倒くさがらずに」やりましょう。と言ったつもりで無言で着手する。
ただし、着手した、で安心すると、集中力の欠如と外的要因(誘惑など)による中断、頓挫など、経験も含めて分かっているので、安心/慢心に細心の注意を払いつつ進める。とか書いていること自体が寄り道/回り道なのではないかという自問自答は避けて通れないが、寄り道や回り道は必要なのだ、と言い聞かせることで納得。した途端、ということはそれは回り道でも寄り道でもなく必要なプロセス、ということになるまいか。という疑問は予想はしていても、煩わしいものである。で、煩わしいということはこれこそ回り道なのではないだろうか、的なループの始まりは本当にいやだ。という何という眠たい話だ、的な。

line


2010 | 03 | 01 | MON

3月。早い。年々早いね。1月と2月は寝ぼけて過ごしたので、まだ眠い。

花粉症がちょっと辛い。自分的にはここ暫くの遅れてきたマス・ロックのマイブームがマイブームで、ホントにもう高校生のときのように興奮中。そして先祖返りが起こってキャプテン・ビヨンドとか聴いたりして。そんなキャプテン・ビヨンドは2nd以降がもう全く別のバンドなのが残念でしょうがない。キャプテン・ビヨンドとバトルスとソウル・コフィングとROVOとデウス。でビールばかり飲んでいる37歳の春のおじさん。がオレ。

line


2010 | 02 | 17 | WED

2月ももうあと十日あまりで終わりです。滞っていた案件に漸く少しずつ手を付け始めたものの、こういう、一旦淀んでしまった流れを再び流すことがかなり気力体力が必要なことは知っているので、気合いが必要です。気合いにはあまり自信もないし信用もしていないが、始めてみれば以外と脳が現れている感じがして心地よい感じがしていることは、意外な経過か。

line


2010 | 02 | 10 | WED

2月10日は何だかはっきりしない天気で、かつ喉がガラガラです。熱もなく咳が出るわけでもなく、喉がガラガラ。徹底して喉が弱い。理由も特に思い当たらず、あえて言えば誰か/何かの「呪い」くらいか。が、呪いというのは呪っている対象(呪い元)がはっきりしているときにのみ、呪い先としての自分は、呪いの効果を実感するのであり、また呪い元にしても、呪い先の喉が枯れていることを認識している場合にのみ、呪いの効果を実感できるわけで、もろもろ総合的に判断すると、どうひいき目に見ても、今回の喉の枯れの原因が呪いであるとは言い難い。と結論づけるまでの時間は約2秒。

line


2010 | 02 | 01 | MON

あぁ、1月が終わった。あっという間に12分の1年が終了。
が、ハチミツのような1月だったという印象が強く、手足の動きは結構鈍い。頭もあまり働いていない。グルグルはしている。

すべてが6割片付けた位で止まっている感じで、良い気分ではないが冷静。10年後にはこの辺のことは一部を除いてまとめて忘れている確信がある。ことを忘れている確信がある。ことを・・・的なグルグル。寛容寛容。

line


2010 | 01 | 24 | SUN

「差異と反復」の第一章を読んでいるけれども、とてもデザい。
で最近は、差異と反復とトポロジーとマス・ロックと複雑系で高校生のようにワァーと既知外のようになっている。。。

少しずつだが、溜まっている仕事に取りかかれる状況に漸くなった感じがしているような、いないような。木と木と光がまずは喫緊だ。

line


2010 | 01 | 14 | THU

領土化の最終プロセスと脱領土化の始まりの混合領域。という感じのここ暫く。
差異と反復と酒となみだと部屋とYシャツと男と女と愛と誠と憎と私とその他が入り交じってこんぐらがって寝返りともんどりを打ってうっちゃっちゃった。的な。

まぁ追いついていないけれども、兎に角その速さにうっとり、的な部分はうっとりながら以外と厄介で、少しずつ切り崩している状態から、カタストロフィックに・・・という現在の予感とともに描いている画が地獄絵図でないことを祈りつつやってくか。という感じ。というね。

line


2010 | 01 | 13 | WED

あぁ、気づけば世は2010年。それももう13日とは。明けてだいぶ経ちましておめでとうございます。今年もそれ以降もよろしくお願いしますね。

今年の予定を立てなければいけないけれども、いまだたたずんば虎児を得ずことやまの如し。

line


2009 | 12 | 17 | THU

ちょっと寝不足気味。

15日は福岡県は大川市まで出張。佐賀空港から大川入りしたのですが、佐賀空港は便数が少ないので、朝5:20に家出。9:30に佐賀空港着。仕事を終えてさぁ帰ろう。と思ったら、もの凄い渋滞にはまる。佐賀なのに。的なことを考えつつ、帰りの便をキャンセルし、福岡空港へ向かいました。福岡空港でスカイマークの21:10発の東京行のチケットを買い帰京。予定より3時間遅れて帰宅。家に着いたら日付をまたいでおりました。色々あって面白かったな。というね。

ここ2、3日で急に冷え込む。冬を実感しますね。
本日は実に和やかな一日なり。

line


2009 | 12 | 14 | MON

今年もあと半月ですね。ハードディスク・レコーダー空けないと、大晦日のガキの使いが録れませんよ。

疲れてはいないけれど、何だかぼぉとしている。1,3,7-トリメチルキサンチン摂取して頭をちょっとシャキッとさせないとな。
昨日品川のEPSONアクアスタジアムに行く。大きくはないけれど、アシカショーにイルカショー、ペンギンや魚の公開エサやりと結構色々。イルカのプールで立派な社会人がイルカのトレーナー体験に参加しているのを見て、心が温かくなった。終身雇用、年功序列が崩壊した現代を生き、転職の機会がいつ訪れるかわからない社会人にとり、イルカのトレーナー体験はいつか役立つかも知れませんからね。もし役に立つことはなくても、良い思い出とはなるだろうし。そんな一日でした。

で、ちょっと寝不足気味で、たった一度の今という時間を生きている。というね。

line


2009 | 12 | 7 | MON

12月も今日で7日ですね。早いですね。早すぎて遅い。と言ったとか言わなかったとか。

なんかMacBook(黒)を開いた手前の端三カ所がなんか割れてるんだよな。セロテープで補強てなに。という感じ。まぁ良いけど。

おかげさまで、SOON@NipponLife 無事終了しました。ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。おかげで、多くの方とお話が出来、とても有意義な展示となりました。会期中はパンを多く食べた。いいけど。で、年内の展示はこれですべて終わり・・・と思っていたら、FAITH南青山ショップのキッズフェアにてロッキングパピーを展示してもらっていて、これが年内最後の展示となりそうです。13日までやっていますので、表参道のイルミネーションを見に行く際は是非お立ち寄りくださいね。

line


2009 | 11 | 27 | FRI

11月最後の週末ですね。とても良い天気でした。
あまりにも天気がよかったので、「ちょっとあまりにも天気よすぎないか・えぇ?」と口に出すか否か迷いましたが、結局口に出すことはありませんでした。それは何故か?をじっくり考えるか否か迷いましたが、結局考えませんでした。

line


2009 | 11 | 18 | WED

「上手く言えるかわからないけど・・・」という話は好きだ。ということをちょっと前に書いた。で、「上手く言えない」ということが、話者の技術的な要因による場合と、「言うことそれ自体がそもそも言う(パロール)ことが不可能である」場合があり、好きなのは後者ということを書いた。

まさについ最近上手く言えなかった、ということがあった。その原因は典型的な前者。事前の自分の準備も含めた技術的な要因において。さらに、技術的な稚拙さ/不寛容/語彙の不足/レトリックなどを補おうとする技術の稚拙さ/不寛容/語彙の不足/レトリックなどの所為でそれはもう典型的な悪循環に落ちいり、まずまずの自己嫌悪。特に相手(複数)のリアクションがどうということはなく何か致命的なミス、または毀損ということは全くないのに、対自分ということで結構凹むものだと痛感。コミュニケーションは難しいですね。



さて、東京デザインマーケットとIPECデザイナーズ・ショーケースへの出展が終わり、一息。ご来場のみなさま、ありがとうございました。両イベントともとても実りの多いものになりました。今年はあとIFFT/interiorlifestyle livingのSOON@Nippon lifeに参加する予定です。

で、早くも今年が終わりますねぇ。おぉこわ。


line


2009 | 11 | 08 | SUN

「上手く言えるかわからないけど・・・」という話は好きだ。ただし、この「上手く言えない」というのには大まかには2種類あり、それは、その内容、話者の語彙の不足、発話/滑舌の悪さ、話し方、レトリック、他者からの共感や信頼のなさなどの観点からの「単純にお前の能力不足で上手く言えていない」という上手く言えない話と、その話/出来事が、パロールとしての表象の不-可能性をア・プリオリに内包しているが故に上手く言えない、という2つである。自分が好きなのは勿論後者で、その場合「上手く言えるかわからないけど・・・」と始まるその瞬間(正確にはもっと前から)には既にそれはそのものではない訳であり「ズレ」ている訳である。そして当然それは(「上手く言えない」話に特有のことではないが)相手の(程度の差は勿論あるが)曲解/誤解を経て相手に理解される(あるいは理解されない)訳であり、もっと言えばさらに伝播していく訳である。「訳である」が多すぎてうるさい訳である。

では「『上手く言えない』とはどういうことか」ということについては色々と語れる人は多いと思うので、深入りしたいとは思わないが、兎に角、自分は「上手く言えるかわからないけど・・・」という話が好きだ。11月1日にそんな好きな「上手く言えるかわからないけど・・・」という話を聞くことが出来、良かった。という話だ。いや、という訳である。

line


2009 | 10 | 30 | FRI

あぁ、1年の5/6が終わりますね。残すは1/5のみ。。。

現在東京の街は秋のデザインイベントでワチャワチャしています。僕は参加していないので何だかちょっと時間の流れ方が違う感じがします。が、デザインウィーク終了後に開催の東京デザインマーケットとIPECデザイナーズショーケースの準備で少しバタバタはしています。

自分は肩こりがひどいという話はとても退屈なので、自戒しており、従ってここ最近肩こりがひどく、寝ても全然取れない。という話は出来ないわけだが、「これこれこういう話は私はすることが出来ません」という話は制限していない。つまり「禁止」について、禁止されているそれ自身についてのメタレベルでも禁止をしておかなければ禁止自体が無意味化されてしまう。つまりそれはメタ禁止事項のメタレベルでの禁止を要請する訳で、つまり「禁止」「タブー」といったことはとっくに無いのだ。というのは往々にして、特に小学生以下においては無視または黙殺されるのが常だ。ということはわざわざいうことでもないのだ。

line


2009 | 10 | 19 | MON

Mike Doughtyのニューアルバム「SAD MAN HAPPY MAN」を聴いている。
Francis DunneryのNew Progressivesのニューアルバム「There's a Whole New World」も発売されて、こちらも到着が楽しみだ。


twitter を始めました。ttsuruでつぶやいています。

line


2009 | 10 | 18 | SUN

金曜の夜に外でご飯を食べると、週末が長い気がする。

line


2009 | 10 | 13 | TUE

ちょっと前のことになるが、幕張メッセで開催された「恐竜2009 ― 砂漠の奇跡」は凄かった。長い会期の最終日に行ったのだが、それでも人がいっぱい見に来ていた。

マメンキサウルスも凄かったし、恐竜の皮膚の化石「ダコタ」も凄かったが、僕らが小さい頃は「ティラノサウルス」と呼んでいた恐竜の表記が「ティランノサウルス」にいつの間にか変わっていたのが小さいけれども大きな衝撃だった。ここに来て「ン」を入れるか、と。

恐竜では何が一番好きか。という質問は良くある会話なのできわめて退屈だけど、やっぱり聞かれたら嬉しい質問ですよね。僕はマメンキサウルスやスーパーサウルスなどの雷竜も好きだけれど、やっぱり首長竜、とくにプレシオサウルス
が好きです。どのくらい好きかというと「プレシオ」という名前の電子レンジが出たら絶対買う。くらい好きです。または「プレシオ光が丘」という名前のマンションが出来たらもう今すぐ走っていって買うな。くらい好きです。ウソですけど。
ごはんを
一応言っておくと、学術的には首長竜は恐竜のある種類ではなく、別の種類の生き物だそうです。まぁ別に学術的に日々を生きている訳ではないんでね。好きな恐竜は?と聞かれたら、特に躊躇せず「やっぱプレシオ(サウルスはモチロン略すよね!)
」と答えるね。

結局4時間以上かけて会場を回った。1人で行ったので、きわめて無口に回った。

line


2009 | 10 | 09 | FRI

台風一過で晴れ。台風18号の風は凄かったですね。
向かい風の中自転車をこぎましたが、ペダルの重さが普段の比ではなく重かった。くたくたになりました。これも10年後には良い思い出となるんでしょうか?それとも忘れてしまうかな?どうかな。

自分がバタバタしているときに限って他の人もバタバタしていてなかなかつかまらない、ということは良くあると思うが、それは生物学的にまた物理学的に同期しているのだろうか?と考えている暇はないこともまた良くあることである。と言える。では暇なときにそれについてじっくり考えるかというと、そんなことは全くないので、この類いの誰でも経験する幾つかのこと(この手の同期、さっきそっちで見た人が何故かもうこっちにいる・・・的なこと、ここ最近気づくとカレーばかり食べている、的なことなど)は永遠に謎であるといえるのではないか。そんなことないか。でもやっぱり・・・。それは・・・。宇宙における・・・。と思った。

line


2009 | 10 | 04 | SUN

晴れて、晴れの10月4日。運動会ですか?
昼の暑さと朝晩の涼しさの差が激しいので、全部足して平均したら、典型的な気持ちのよい秋の気温になりました。とても過ごしやすいですね。みたいなことが出来れば良いのに、と思いつつ、でも出来ないのが内心良いと思っているわけだわけだ。とか内心思ったり。とか言ったり言わなかったり。するのは人間たる所以でしょうかね。違うかな。どう?

line


2009 | 09 | 29 | TUE

久しぶりの雨です。雨、厭ですね?
ここ暫く気管支の具合が悪く、咳が止まらない。咳止めを飲みつつ生活。

咳止めは咳を止めるだけでなく、咳止めを飲まずに生活することも同時に止めていることにはたと気づき、愕然とするというほどには大げさではないけれど、軽く膝を叩く。咳が出る生活を止めるために咳止めの薬を飲んだ瞬間、咳止めを飲まない生活は止まり、咳止めを飲んだが故に咳が出ない生活が始まる。これは咳が出始める前の咳の出ない生活とは違うわけで、恐ろしいスピードで横滑りをしているにもかかわらず(実はそのスピードが早すぎる故に)、静止した感じ。という感じと言える。

line


2009 | 09 | 28 | MON

ハハハと笑っていたらあっという間に9月も終わりですねハハハ。
まだまだ残暑厳しいざんす。駄洒落が嫌いです。

ある性向の人に対し、あみだくじは確実に罠として機能しうることを確信する。がそれはただ単にほれ、あみだくじ。と提示しても恐らく無意味で、微細な差異と習慣化、適度な規模が重要であると、ざっというと恐らくそんな印象だ。がこれが効いた時は、対象に引きずられる形であるクラスターが結構ズドンといくと考える(つまりは対象を単体ではなく、ある種のカテゴリーとすることも出来るということだ)
。ただ、これがある特定の性向に対して効くということなのか、それぞれの対象に合わせたあみだくじ的罠の構想が可能なのかということは、一考に値するかどうかわからないが、未知数だということは出来るだろう。で?と言うことも出来るだろう。無視すること(黙殺することも含む)は言うまでもなく最初から保証されている。無視することと黙殺することは同じことではないけれど、その違いはここで触れる必要は取り立ててないだろう。

取り敢えず手をつけ易いとこからはじめて、漸く、という感じ。

line


2009 | 09 | 16 | WED

東京は朝晩だいぶ涼しくなってきた今日この頃。ですが、地域や国によってはそうではないという人もいるでしょう。それで良いのです。また、それが良いのです。

で、夏の終わりは、まぁ他の季節の終わりもそうですが、はっきり「はい、今日で夏は終わり」みたいに切り替わることはなく、毎日暑くて残暑は本当に厭だ。厭ですね?とか言って残暑の厳しさを毎年のことなのに飽きもせず感じてだらだらだらだら現存在という存在を生きる私たち。とか言って過ごしているわけです。ところがある日、あぁすっかり秋だ。とか思うのですから不思議ですね。それは異常な食欲の訪れであったり、読書だよ君、的な部長的発言であったり、未だに消化しきれていない感傷や認めたくない寂寥感的なものであったりするかと思います。どう?

もう9月なので暦の上では十分秋だといえますが、僕的には18日から久しぶりに帰省するので、帰省の終了をもって秋とする、という風に決めました。とタイプをしている自分は不完全ながら別人格であるといって良いのではないだろうか。違うだろうか。どちらでも良いだろうか。それ

line


2009 | 09 | 14 | MON

9月14日、晴れ。
ロシア東部のネブースクから西部モンゴル国境近くのツライセーキまで電車で約72時間。というのは眠たい頭の眠たい嘘で、寝不足と止まらない咳で辛い。ということ。

ちょっと朦朧とした意識のもとバタバタしていたらあっという間に9月も半ば。が時間の経過について考える時間はあまり実りの多いものではないことの予想は難くないので、あっという間に9月の半ばになったという話はここでおしまい。今後一切、あっという間に9月は半ばを迎える、という話はしない。

ここ暫く大したニュースはないものの、別にまったりしているわけでも待ったりしているわけでもない。断続的な思考停止を挟みつつ、もぞもぞ。今年は結構色々落ちているので、そのことを参考、または教訓としつつかつ止まらず動くというここ数ヶ月という感じか。「しつつかつ」という接続詞は良い。

スチュアート・カウフマンの「自己組織化と進化の論理」と福岡伸一氏の「世界はわけてもわからない」とここ暫くの生活にシンクロニシティを見いだし、「おぉ」と言ったつもりで黙る。

line


2009 | 08 | 31 MON

8月最後の月曜日。正確には西暦2009年8月における最後の月曜日。

昨日は朝から選挙に行って、それから仕事。投票所から仕事場へ行く間に、あぁ雨が降ってきました。雨、いやですね?最初はぱらという感じだったのですが、段々強く降ってきて、帰りはもう凄い雨でした。雨の中、傘をさしてちょっと重めの鞄を背負って駅から家までの15分の道のりを歩きました。雨の中の歩行、いやですね?

それはそうと、徐冷法なんて時間のかかることを試してなどいられないので、もう多少のエネルギーコストがかかろうともやるしかないという感じでガツンとやる。まぁやってみないとようわからん、という感じですね。

写真について、もう少し知識があった方が良い、と実感したことは本日の収穫であり、それはこの先の人生においても(たとえ予期せずこの先の人生がちょっとしたきっかけで思いがけず終わることがあっても)無駄ではないと判断し、ちょっと勉強しよう、と思いました。

line


2009 | 08 | 29 | SAT

もう毎日毎日が過ぎていきますね。小学生のみなさんは溜まった夏休みの宿題に追われている頃でしょう。夏休みの終わり、それは来年の夏休みに向けてのカウントダウンの始まり、期待感の始まり。というような切り替えができれば良いのでしょうが、そうドライにはいかないのがホモ・ルーデンスたる我々人間。遊びたいのです。

まぁそんなことは別にどうでも良い。
さまざまなことが宙ぶらりんで、モワモワしたここ数日。それには複数の原因があり、しかもそれらは何がしかの相関関係にあるため、微分することは不可なり。なので、強力な力でジャンプが必要です。カタストロフィを自発的に引き起こすというか。つまり、頭を整理してひとつひとつ片付けていく、みたいなことは物理的に出来ないので、鷲掴みにしてぶん投げてそれをナイスキャッチ。というね。失敗したらその時はその時、というね。失敗はだめですが。

今日は仕事を終えてから、東京ビッグサイトにグッドデザインエキスポ2009を見に行きます。

line


2009 | 08 | 28 | FRI

おたふく風邪に罹って以来、口の中の唾液の量が著しく減っており、食べ物、特にご飯を食べるのに大変苦労しています。おたふく中は痛くて咀嚼ができず、チューブ入りのゼリー状の食事ばかりしていたのでそれほど気づかなかったのだけれど、ちょっと治ってご飯を口に入れると、非常に食べにくい。原因は唾液の分泌が少ないからです。食事のときだけではなく、四六時中唾液が少ないので、寝て起きると、口の中はからからで、舌は死んだヒトデのようで、我ながら気持ちが悪いです。がそんな「気持ちが悪い」ということさえ、起き抜けの乾いた口はうまく発音できないよ。というね。

若いうちは病み上がりとか関係ない、という感じだったけれども、この年になると感じるね、「病み上がり」。あと孤独死の予感。

line


2009 | 08 | 27 | THU

8月も気づけばほぼ終わり。今年は盆休みをおたふく風邪で棒に振ったので、8月がとても短く感じます。この夏はロキソニンの服用とともに吹き飛んだ。
で、病み上がりとはいえ、ヘラヘラばかりもしていられないのが社会人というもので、少しずつではあるけれど元のペースに戻そうと努力中。「努力」という言葉を久しぶりに使った。

気分的にはこれからが今年の後半。どうしようかとただいま考え中。

line


2009 | 08 | 26 | WED

8月も早いもので下旬ですね。みなさん、地獄って知っていますか?
僕はちょっとした地獄なら知っています。

それはね、大人になってからおたふく風邪に罹ることです。おたふく風邪とはオックン、タックン、フックン、クックン、カックン、ゼックンの6
人組のアイドルグループのことでは勿論なく、流行性耳下腺炎のことです。

ちょっとした地獄とはどういうことかというと、大人になってからのおたふく
風邪は酷く、しかし別に入院して絶対安静というほどでもない(場合によっては死ぬようですが)地獄。「おたふく」という名前と実際の腫れによる痛みと高熱と頭痛と全身の関節と筋肉の痛みとのギャップ。という呼称と実際の症状との乖離によるアイデンティティの揺らぎの苦しみ。もし刑事であれば「おたふく」というあだ名は必至。「ヤマさん、ゴリさんは渋谷、ラガーと殿下と長さんは新宿、ロッキー、おたふくは六本木を聞き込みだっ」とボスなら言うでしょう。「子どもを預けているので」とのりPなら言うでしょう。兎に角大人になってからのおたふく風邪は辛いです。

とまぁこれがおたふく風邪によるプチ地獄の大まかな説明です。
8/12〜23にかけて、僕はまさにこのちょっとした地獄を味わっておりました。
腫れのピークには、我が顔はハイビジョン対応のごとく、縦1に対し横1.6の黄金比にまで膨れ上がり、しかも黄金比といいながら顔のパーツは真ん中に寄った状態なのでまったくの醜い状態でありました。


が今は腫れも引いて、気持ちが晴れ晴れってね。いらないな。

line


2009 | 07 | 15 | WED

午前中は何とかもっていたのに、お昼を食べたとたん、もの凄くわむい。別にねむいわけではないけど。ねむけは我慢できても、わむけはどうにも我慢ができず、思わずこっくりこっくり・・・的な。
が、そんな眠たいことを
言っている時間はないので、顔を洗い、1,3,7-トリメチルキサンチンを摂取してわむけを飛ばします。梅雨も明けたことだしね。

カフェインの錠剤や、栄養ドリンクや、ミントガムなど、眠気を飛ばすアイテムはさまざまありますが、飲めば眠ったのと同じ効果がある薬、というのはありませんね。これを開発すれば(もちろん合法的な薬として開発すれば)売れると思うのです。眠りと同じ効果さえあれば良いのです。眠った結果の効果は人それぞれでしょうが、人は眠らずにいられるのには限界がありますから、眠りを眠ること以外で摂取できるとなれば、それはみんな買うでしょう?「ネタコトニナリックス 6H錠」発売されないかなぁ。そうしたらこんな眠たいことを言っていられるのだけれど。

line


2009 | 07 | 13 | MON

気づけば7月も13日。あっという間の時間経過。前回更新してからその間何をしていたのだろうか。とてもこそがしかったのです。別に忙しかったわけではないけれど、何やかやでバタバタとこそがしい日々を送っておりましたとさ。

さて、今年もあっという間の半年が過ぎ、いつの間にか梅雨になり、うぇーて言って、えぇーて言って、おぉと言っている間に、
今年も後半。の最初の月ももう後半になろうか、と。

今朝は顔を洗いながら、要素還元主義とデザインについては一考の余地があると考えた。が顔を洗いながらだと、で・・・、というところで考えは中断するので、そのあとはまぁ断続的に不連続的にモホロビチッチ的に考えることにし、さらにそれをタガログ語とヴォラピュク語が理解できる人の思考として思考するとどうであるかを考えたが、まずそのためにはタガログとヴォラピュクの習得から始めなければならないし、そんな暇があったら、とどこからか
もう2人の自分の内の1人の声がしたので、まずは病院に行ってみようか。というね。

いろいろと考えるところはある。
さぁどうしようか。

ところがある日、そんなこんなが一遍に解決したりするから不思議ですね。

line


2009 | 06 | 24 | WED

「書くことがない」こと自体を書ける環境にある場合、書くことがない状態は消滅するわけだが、そうなると「書くことがない」状態を書くことはできなくなり、その瞬間に「書くことがない」状態が発生するわけです。これって差延ていうんでしたっけ。違ったかな?まぁいいや。

line


2009 | 06 | 23 | TUE

実は非認可で気象予報士をやっていて、本日、梅雨が明けました、自分的に。これは比喩ではないので、気分的に梅雨が明けた、精神的に梅雨が明けた(梅雨は社会生活における抑圧を象徴します、的な)とかではまったくない。非認可気象予報士、または丘予報士、あるいはモグリ、としての見解として、梅雨は明けました。ということです。つまり、これから降る雨は自分的に一切梅雨(ばいう)ではありませんね。

ただし、社会生活を送る場合、何のコンセンサスもないまま、自分だけが「梅雨明けだー、梅雨明けだー、酒もってこーい。わっしょわっしょい(非認可気象予報士様の予報であるぞ的な精神状態)」といっても、既知外だと思われるだけなので、勿論発話はしませんが。梅雨、いやですね?

line


2009 | 06 | 22 | MON

あみだくじが心理学的に罠として機能するということを今朝目の当たりにし、それを非心理学的に証明することに果たして社会的価値があるかどうかについて悩むことに労力を払う現事実的な価値があるかについて考えながら駅までの道を歩いた。あみだくじはやり方と性格によっては罠として機能しうると思う。フフフ。だが、人を呪わば穴二つというてな。フフフ。

line


2009 | 06 | 20 | SAT

6月も3分の2が終わり、あと10日で2009年の半分が終わる。が別に自分はキリスト者ではないので、西暦的な時間経過に拘泥することはないけれども、日常生活のレベルにおいての時間感覚に素直に従うと、やはり西暦的な時間および、24時間を1日とする単位が時間感覚であり、「春なのに、お別れですか」とか感傷に浸ったり、その感傷でジャーニーに出ちゃったり、その計画も勿論西暦で予定立てちゃったりね。

別に今年の春にそんな感傷的な出来事があったわけではないけど。

今日は梅雨なのに雨降らず、でも
蒸暑さマックスで、ちょっと動くと汗が降る。梅雨、いやですね?

line


2009 | 06 | 18 | THU

6月15日、16日、17日が飛ぶ。6月14日がまるで昨日の事のようだ。でも、6月13日は別に一昨日のようではない。というね。時間感覚が崩壊。しかも未来も先取りして崩壊。アイオーン。あぁ、ハチミツのプールに使っているくらいの抵抗を受けている感じといえば良いだろうか、どうだろうか。的確ではないが、不適切ではない。不適切以上的確未満。適切と不適格は関係ない。そんな感じ。

梅雨です。いやですね?

line


2009 | 06 | 14 | SUN

あぁ、とため息

我々は生きるために定期的に食事をする。つまり食べる行為を繰り返している。毎回同じものばかり食べていても飽きるし、栄養も偏るので、色々なものを食べる。繰り返しつつ、変化も求めている。つまりは「差異と反復」そしてお昼を食べ終わって今は「割と満腹」。割と反復で差異と満腹です。悪くないね?

で、結局何かというと、俺の知った事ではない。というね。

line


2009 | 06 | 13 | SAT

朝から運動。それほど激しい運動ではなかったものの、36歳の運動不足の中年(体力的にはおじいさんといってもいいかもしれない)にはやはり多少はこたえたようで、そのあとの電車での移動では爆睡に次ぐ爆睡。ピンチに次ぐピンチを漸く切り抜け(たような気分で)、目的地に到着する。どうでもいいですが。

さて、今年は6月21日が夏至なので、あと一週間もすれば夜が長くなっていくわけである。夏至だけを楽しみに日々を生きている自分にとっては、あと一週間で一年における喜びの頂点を迎える。が、頂点を迎える翌日にはもう、次の夏至までのあと一年をどう過ごしていくかという、煩悶の、暗黒の、地獄の一年が始まるわけである。夏至までの一週間をどう過ごすかはとても大事だ。だが、どう過ごすかを考えるのに二週間はかかるので、考えがまとまる頃には夏至は過ぎているので、考える事はやめることにする。

物理的な運動を止める場合、慣性が働き、すぐには止まらないわけですが、ある物事についての思考をやめる場合、慣性は働かないのだろうか、と考える。物理的な運動では、その運動する物体の質量や加速度よって慣性力は決まるわけですが、では思考の場合はどうか。 思考に質量はあまり感じないけれども、加速度は感じる事があります。勿論これはメタフィジカルな加速度ですが。でその加速度に比例して慣性力は働くのか。これは物理的に考えると、質量が0なのですから、いくら考えに加速度がついていようが慣性力は0で、ぴたりと考えるのを止める事ができるわけですが、そこは人間なので、はい止め、終わり。勧誘一切お断り。とはなかなかならないわけです。まったく不思議ですね。

line


2009 | 06 | 12 | FRI

なんだかインフルエンザが流行る前の方が、インフルエンザで大騒ぎしていたような気がする。今は流行っていて騒いでいるけれど、騒ぎ方は以前ほどではない気がする。

素朴な疑問なのだけれど、病気の併発ってあるでしょう?A型とかC型とかインフルエンザにもいろいろありますが(人生のようにね)、違う型のインフルエンザを同時に併発するケースはあるのだろうか。もしあれば、それはそれは辛かろう。

毎年5月6月は、曖昧模糊とした時間感覚で過ごすことがもう長い事続いているが、これは生物学的に自然な事だろうか、と考える。つまり他人もそうなのだろうか、と。自分ではおそらくみんなそうなのではないか、もっといえば他の動物もそうなのではないかと思っているのですが。だってみんな生き物なので。なので当然、合間妹子も曖昧模糊とした時間感覚でいるのではないかと想像するわけです。合間妹子自体が想像上の人なので、そこはメタ想像力を働かせてね。

Mike Doughtyの東京でのショウが終わった。3日間とも素晴らしく大変嬉しい。ウーネリーズをはじめ対バンも良いバンドばかりで、ライブに行くのは本当に久しぶりだったので、興奮している。「やはり生は良い」と声に出していうシズル感を大事にする感覚を維持しつつ、
声に出さずに言う。

line


2009 | 06 | 11 | THU

ついに乳ばい。もとい入梅。雨の季節の到来です。雨期。浮かないけど。
年をとるとはこういう事か、という実感。俺はもう死んでいる。的な。比喩ではなくね。だからお世話になりました。て言おう、というね。

短期記憶がどんどん失われ、脳内でシナプスが切れる音がブチブチしている。出ないときは本当に出ず、話し始める先から何を話そうとしていたかをどんどん忘れ、でも何を話したかったか忘れちゃった、ゴメンネ。と言えない場面は多々あり、何か話しながら思い出そうとしゃべり続ける間に、当然話は脱線に脱線を重ね、思い出す事がどうでも良い/または思い出してももう殆ど意味がない、という状態を繰り返すハイな状態の到来。所謂「自転車躁状態」ですね。これは「自転車漕いでハイになる」という意味ではなく、自転車操業的に話を補完する事を繰り返していたら、話のきっかけや根幹、および軌道修正が無化/無意味化、時には脱意味化され、躁状態が訪れる。という意味です。なので英語で言うと「cycling high」ではなく、「
precarious day-to-day manic state」てこんな言葉が英語にあるか知りませんが。て「自転車躁状態」自体今考えたのですが。何しろそんな状態です。

そして本日、Mike Doughty のジャパン・ツアーの東京でのショウ最終日。「mike doughty digs me!」Tシャツを着ていきます。福岡の2日間も行きたいけど(ソウル・コフィングを聴いていたときは福岡に住んでいたので)、行けない。

line


2009 | 06 | 09 | TUE

そろそろ梅雨ですね。じめ、じめじ、めじめじ、めじめじめ、じめじめじめ、いじめ絶対駄目。という感じで湿度が上がってきて、不快ですね?洗濯物乾いてますか?嫌な臭いしていませんか?向こうで友達呼んでますよ。

もうすぐ一年の半分が終了するというのに、何だか思うように物事が進んでいないと感じたり感じなかったりというここ半年。まぁ悪くはないけれども。

line


2009 | 06 | 08 | MON

インテリアライフスタイル展でのアボードの展示が終わった6月5日、撤収を終え、秋葉へ向かう。マイク・ドーティのジャパンツアー初日で、会場に着いたときは、モールスというバンドの演奏中で、一番最初のバンドには間に合わなかったものの、モールス格好良い。目当てのウーネリーズにも間に合い、まずまずで、ビールをごくり。ウーネリーズ格好良い。

で、マイク・ドーティ。ソウル・コフィングも勿論好きだが、今のマイク・ドーティはとてもスモール・ロックで格好良い。MC少なめで(英語圏ではないということと、ソロになってからはソウル・コフィング時代に
比べるとメジャーとはいい難く、曲の認知度などを考えるとコミュニケーションが取りにくいからかな)続けて演奏する。新曲も一曲演奏していたけれど、これがまた良く、早くもニューアルバムが楽しみだ。良い気分で帰る。

翌6日も、渋谷にマイク・ドーティを観に行く。数曲以外は前日と違う曲で、とても嬉しく、ビールごくり。個人的には「コーヒー・ボス」と言ったら拾ってMCしてくれた事が嬉しかった。

次は11日。東京はこれが最後だ。早いね。RISING SIGN と MOVE ON と FIRETRUCK を演ってくれたら嬉しいが、FIRE TRUCKは多分演んないな。

line


2009 | 06 | 03 | WED

紀元後2009回目の6月3日。

昨日2日は、東京ビッグサイトに行って、インテリアライフスタイル展のアボードブースの仕込みを手伝う。アボードは展示会の回を重ねるごとに展示が良くなっていて、空間はシンプルながら、ナイスなプロダクトが並んでいる今回のブースはとても良いです。行くべし行くべし行くべし。

さて、マイク・ドーティの来日がいよいよ近づいてきた。初日の5日はインテリアライフスタイル展の撤収後に行くので、マイクの出番に間に合うか微妙だ。ウーネリーズも観るのが初めてなので、とても楽しみだ。

line


2009 | 05 | 23 | SAT

天気がよろしくてよろしい。

10年ほど使っている腕時計(自動巻)が最近微妙に遅れる。
ソーラー電池などの電池のいらない腕時計で、デジタル時計で金属のベルトで世界時計の機能があって、シンプルで値段が高くない腕時計を探しているけれど、なかなかコレというのが見つかりません。今使っている微妙に遅れる時計も、気づくと微妙に遅れているといいながら、すぐ取り替えないと生活に支障が出るほどでもなく、欲しい時計も無いし、まぁ見つかるまでは・・・というね。

line


2009 | 05 | 18 | MON

すでに夏のように暑く、しかし未だ春の眠気は依然激しく、1,3,7-トリメチルキサンチンを摂取するも、なかなか効かず。1,3,7-トリメチルキサンチンの過剰摂取で胃が痛むが、気づけばまた1,3,7-トリメチルキサンチンを摂取し続けている。殆ど中毒。

気づけば映画「REVOLVER」がDVD化されており、喜ぶ。「ROCKNROLLA」のDVD化もどうやら近いようだ。REVOLVERの評判は悪く、ROCKNROLLAは「LOCK, STOCK & TWO SMOKING BARRELS」「SNATCH」の流れで面白いという評判だけれど、どれもとても格好良い映像で、例えていうなら、1stアルバムが傑作、同じ流れで2ndアルバム、3rdアルバムで新機軸を打ち出してセールス的にコけ、4thアルバムで「やっぱりオレたちの○○の音はこれでしょ」とファンに言われたりするバンド、といった感じ(個人的にすぐ思いつくところでは「ワンダースタッフ」があるけれど、ワンダースタッフの3rdアルバム「NEVER LOVED ELVIS」は傑作だ)。REVOLVERもROCKNROLLAもマーク・ストロングが良い。そういえば忘れていたけれど、ガイ・リッチーにはSNATCHとREVOLVERの間に「SWEPT AWAY」があった。

line


2009 | 05 | 16 | SAT

5月が半分終わった。といってもそんなことは永久冬眠している人々には関係ありませんが。ただし、自分が生きるこの世界がマトリックスだった場合も、何月がどんだけ終わろうが関係ありませんが。
何故今マトリックス。。。という気がしなくもなくもないですが。速く動こうとするな、速いと知れ。ということでしょうね?

line


2009 | 05 | 13 | WED

もし世の中にネコの手を用いて仕事を行う職種があるとするでしょう。それで最初はなかなかその仕事が軌道にのらず、苦労することもあるでしょう?がやがてそれが段々うまくやれるようになるでしょう?口コミの効果もあるでしょう。で。ある時、あるいはある朝。または信号待ちをしているふとした瞬間、臨界点を迎えるわけです。忙しすぎる。オレ一人ではこの仕事は無理だ、と。一般的には仕事が忙しいというのは悪いことではないので、抱えきれないほどの仕事量は端から見たら羨ましいことかも知れません。しかし当の本人であるあなたはそのネコの手を用いる仕事で忙殺されています。

ここでいよいよ困ったことが発生します。「あぁネコの手も借りたいとはこのことだ」と言えないのです。ネコの手を用いる仕事をしているあなたは、いくら忙しくなっても、ネコの手も借りたいとは口が裂けても言えません。だってもう、抱えきれないほどの仕事量をネコに課しているわけですから。

さて私が肝心なことがらを避けて話を進めていることにあなたはおそらく気づいていることと思います。「ネコの手を用いて仕事を行う職種」とは何か?そんなものが本当にあるのか?──あります。少なくとも職種としては存在しうる。というのが正確かつ同時代的な答えですが。その職種とは「ネコ好きで本物志向のあなたに!本物のネコの肉球ハンコをプリントしたマグカップを販売」です。

そしてあなたはここで言うでしょう。どうでもいい話につきあわされた、と。勿論それは間違いではない。なぜなら、別にマグカップかどうかはどうでもいいからです(それは湯呑みでも良いし、マウスパッドでも良いのです)。

line


2009 | 05 | 11 | MON

衝動買いについて考える。

衝動買いをさせる衝動とは何か。それは買いたいという衝動、そう「買い衝動」しかしただの買い衝動ではなく、衝動的に買いたいという欲望に基づく衝動、「衝動買い衝動」であり、日頃我々が衝動買いと呼んでいる購買形態は実は「衝動買い衝動買い」と呼ばれるべきものだったことがここに明らかにされたのだ。

しかもこれは言うまでもなく「衝動買い衝動買い」衝動および「衝動買い衝動買い衝動」買いを誘発する可能性を常に孕んでおり、「SDG(衝動買い)の無限ループ」へのステップは意外に軽いことに我々は気づかされるのである。そしてそこに「ひきこもり」「引き延ばされたモラトリアム」「VR」「デスクトップ」など現在のさまざまなタームとの親和性を見いだすことは容易でありかつ無意味であることは想像に難くないことは想像する必要すらないのである。という病気は治療不可。

line


2009 | 05 | 10 | SUN

7年ぶりに洗濯機を買い替えた。その過程は以下の通り。

洗濯機の選択期の予感 〜 洗濯機買い替えか否かの選択 〜 洗濯機買い替えを選択 〜 買い替える洗濯機の選択肢の検討 〜 買い替える洗濯機の選択 〜 買い替え完了(そこに選択肢は無い) 〜 買い替えた洗濯機による初めての洗濯(洗濯コースの選択過程を含む) 〜「最近の洗濯機は凄いねぇ(思わず口をついて出る感想であり、選択の余地はない)」

つまり、洗濯機を選択する行為においては、洗濯(機)と選択(期/肢)の無限とも思える愛憎入り交じった流転の果ての「最近の洗濯機は凄いねぇ」という選択の余地のない宙づり状態あるいは真空状態が発生する。というね。

無意味ではないのかと問われれば、ムキになって反論するだろう、それは何故か?完全な無意味だからだ。それを人は「必殺・無意味真空切り」と呼ぶ。呼ばない。

line


2009 | 05 | 08 | FRI

雨は上がるが、今ひとつさっぱりしない天気。

「今ひとつ」は「さっぱり」にかかっており、「天気」にかかっているわけではないので注意。つまり、「『今ひとつさっぱりしない』天気」と言いたいのであり、「さっぱりしない『今ひとつな天気』」と言いたいわけではない。というね。

「今ひとつな天気」というものが存在するかすら怪しい。というより、「今ひとつな天気」という表現は完全に主観的天気観(そういう表現があればであるが)に基づいた言い方であり(しかし集団的主観(そういう表現があればであるが)として許容されやすい表現であることは否めない)、それはおそらく快晴を最高として、雨天を最低とする価値観を是とする前提に立つ独善的なものであることは言うまでもない。ではその独善性を自分が否定しているかというとそういうわけでもなく、またそれは否定するに足る新たな価値観を提示できるわけでもない。そしてたとえ代替に足る価値を示せたとしても、それが社会的コンセンサスを得るとも思わないし、そのための努力をするつもりはない自分にふと気づく、的な午後の日差しは意外に優しいという脳内。

line


2009 | 05 | 07 | THU

降るなら降る。止むなら止む。と言いたくなるような、はっきりしない天気。病むなら病め。うそ。

ゴールデンウィークも終わり、ゴールデンウィークが生き甲斐である僕は、もう今年の楽しみは一切なく、来年のゴールデンウィークまでは暗黒の日常を耐えるのみですが、それも来年のゴールデンウィークまで生きていれば、またはたとえ現在の個体としては生きていなくても、クローンにソフトウェアを保存できていれば、ということで。

現在の状況をひと言で言うと何だかもっさりした感じで、口の中いっぱいにパサパサした食べ物を詰め込んでいる感じ。早く口を空っぽにしたいのだけれど、口の中の水分を取られてしまっており、思うように咀嚼および嚥下(えんか)することが出来ていない。といった感じ。がこれはあくまで比喩であり多少諷喩的に過ぎるかもしれないが、意外に言い得て妙であると思うのです。

line


2009 | 05 | 04 | MON

5月になりました。3日に、上野にある、色々な動物を生きたまま一般向けに展示している施設に行ってきました。

10時半くらいに入り口に到着し、ちょっと並んでチケットを買い、中に入る。ゾウ〜キリン〜カバと見てお昼を食べます。お昼を食べている頃からちょっと人が増えてきたなぁ。と思っていたのですが、昼食後動物に直接触れられる「ふれあい動物コーナー」的な展示を挟み、さぁシロクマ、ゴリラ、ライオン、トラを見に行こう。と移動を始めると、もう人の多さにビックリです。どちらを向いてもヒトヒトヒト・・・。動物の数より間違いなく人の数の方が多い。という感じです。動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱霊長目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト種に属する生物、ホモ・サピエンス・サピエンスのゴールデンウィークにおける生態の行動展示を見ている自分もその行動展示の一部であります。

結局、シロクマとゴリラはまぁ見たものの、トラやライオンはもう、それを見る人の壁を見るという状況に、見るのは断念して、帰りにゾウをまたちょっと見て帰りました。

家に帰ってきて知ったのですが、「色々な動物を生きたまま一般向けに展示している施設」というのは、「動物園」という名前で、我々が行った上野にある動物園は「上野動物園」という名前で、そういえば別に初めて行ったわけじゃないし、最初から上野動物園に行ってきましたと書けば良かった。とわざわざ書くこの手続きの多さとその性格は一体何なんだ。というね。それが動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱霊長目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト種である。というね。

line


2009 | 04 | 29 | WED

今年もGWが始まりました。GWといっても、アメリカ前大統領のことではありませんよ。確かにGWといえばジョージ・W・(ブッシュ)前大統領のことですが、私がここで言うGWは春の大型連休「ゴールデンウィーク」のことですよ。だって時代はもうオバマでしょ。

さて、そのgWeekですが(iPod風表記にしてみました)、初日の本日は仕事をしています。今日の仕事場はとても眺めの良いところなので、折角のgWeekなのに仕事かよ。という感じはなく、公園でヨガにいそしむ人たちや、お弁当を食べたり日光浴をする人たちを眺めつつ、マイペースで作業をします。もし自分がマイペースの意味を知らなかったら、マイペースをマイペー/スで区切って「マイペー」って変なの。とか言っていたかもしれないな。と思いました。やっぱり無知って怖いな。無知の知。と思いました。「むち」は2つの意味で怖いなと。これは完全に蛇足ですが。

今日は何だか、寝覚めが良かったわけではないのに、今朝はちょっと感覚が良く、陽気の所為もあって悪い感じはしない感じが続いています。人には躁鬱さまざまな状態があると思いますが、躁でも鬱でもないように見えて実は自意識のコントロールのもと躁でも鬱でもなく見せている軽い躁状態。という感じ。これを今日から「節度ある躁状態」と呼ぶことにします。記念日好きの女の子ならきっと今日は「節度ある躁状態記念日」となったところでしょうが、残念ながら自分は記念日好きでもなく、女の子でもないので、記念日認定はならず。そんな気怠い午後です。
あぁまた無意味主義的有意味、つまり無意味なことを・・・。そしてこのことは3次元以上のn次元空間においてもおそらくは無意味である。というね。

line


2009 | 04 | 27 | MON

あっという間に4月も27日。前回の更新からはや5日。時間にして120時間。光陰矢の如し。

ここ数日「もし」、所謂「たられば」について考える。私たちの日常生活の次元では「もし〜だったら」を自分の現在と同時に体験することは出来ず、しかも、それを話したり想像したりする場合、一つ次元を落とした表現になることが往々にしてあるため、4次元以上の物事を結局2次元的に表象してしまっていることには意外に気づかず過ごすというのが私たちの日常生活の次元である。というループは無意識のうちに作動する機械である。

これを悲しいと思うかどうかはおそらく個々人によって差があると考えるが、自分はどうかというときわめて平坦に悲しい感じ。つまり悲しさゼロの悲しさ。例えれば、「貴様、悲しくないのか」と陸軍少将が問うとき「悲しいであります」との答えに「では貴様どのくらい悲しいのか」と陸軍少将は続けるので、「悲しさゼロの悲しみであります」「歯を食いしばれ」「はいっ」。という悲しさ。

病気は普通である。というのが日常である。というのが現代である。というね。
やはり、未来を想像してはいけない。は真実だ。

line


2009 | 04 | 21 | TUE

ついこの間年が明けたと思ったら、もう4月も下旬です。年々時間の経過が早くなるという実感が早すぎて逆に遅く感じます。という感覚が無限後退を起こし、月日の経つのが早いかどうかが漂白されて無意味に。人はこうして語り得ぬことを増やし、沈黙していくのだなぁ。と独り言を語ってしまい、語り得ぬということを語ることが語り得ぬことであるという沈黙と独白が無限後退を起こしこれまた無意味化。というトポロジカルに漂白を感じる一日、ということで今年から4月21日は「トポロジカルに漂白の日」になりました。ということは無意味ではないのか。無意味以上有意味以下という決着はとても気に入らない。

line


2009 | 04 | 19 | SUN

ウェブをリニューアルしました。Dreamweaver で初めて制作しました。

途中思うように行かず、パソコンを何度か叩いて調整しました。テレビの映りだけではなく、パソコンだって叩いてみるもんですね。不具合のすべてが解決するわけではありませんが、画面を横から叩くとリンク切れなどは修正出来ますよ。ただ、あまり強く叩きすぎると、レイアウトが崩れたり、ウインドウの一部が欠けたりするので注意が必要です。何より物理的にパソコンにキズがついたりしますので、パソコンを叩いたりするのは絶対やめた方が良いでしょう。僕も上記のようなことは、言ってはみたものの一切やっていませんからね。言論の自由の素晴らしさを噛み締めつつ、更新を続けていきたいと思う今日この頃なのであります中隊長殿。

line


2009 | 04 | 18 | SAT

とても暖かくなってきて、大変に気分が良くなり、いっそガラスを蹴破ってあ外へ飛び出そうと思ったけれど、今後の社会生活をまともな人間として送るには、玄関から飛び出す方が得策だということに気づき、玄関からおとなしく春の陽気の中へ出かける。手放し運転で自転車に乗り、1回も止まらず手も使わず足も地面に着かず、しかも目もつぶって虚実入り乱れて2駅先の立石まで行く。「海華」で久しぶりにお昼を食べ、商店街や呑んべ横丁をぶらぶらして「鳥房」で唐揚げ、「カンパニュラ」でモンブランをを買って帰る。帰りは後ろ向きに座って自転車に乗り、一度も前を向かず、最初の一漕ぎのみであとはその勢いだけで、虚実入り乱れて家に帰る。家に着く頃は自転車の勢いはかなりなくなっていたのでハンドルを左右に振ってなんとか家に着いた。家について、ガラスを蹴破って出かけなくてやっぱり良かったと改めて思う。という夢を見なくて良かった。とは思わない。

line

2009 | 04 | 15 | WED

Mike Doughty
が6月に来日決定。しかも東京のみではなく、JAPANツアーだって。行くべし、行くべし、行くべし。