
学位記番号:文博乙第113号
論文審査委員:主査 教授 岩淵慶一
副査 教授 清水多吉
副査 一橋大学教授 岩佐茂
序章 『経済学・哲学草稿』と疎外論の運命 1
はじめに 1
第1節 スターリン批判後の疎外論 2
第2節 新旧スターリン主義者の疎外論に対する態度 6
第3節 『経済学・哲学草稿』の先駆的諸研究 7
第4節 疎外論に対する攻撃 16
第5節 自主管理思想の根拠としての疎外論 24
おわりに 29
註 30
第1章 マルクス最初の疎外概念─「父への手紙」と『学位論文』─ 56
はじめに 56
第1節 ヘーゲルとの邂逅─「父への手紙」─ 57
第2節 最初の疎外概念─パレンクリシスとしての自由─ 62
おわりに 69
註 70
第2章 対象化と疎外の区別 74
はじめに 74
第1節 問題の所在とその解決 75
第2節 対象化とその疎外 85
おわりに 99
註 100
第3章 疎外と私的所有の因果関係 104
はじめに 104
第1節 私的所有の原因としての疎外された労働 104
第2節 疎外と私的所有の止揚 112
おわりに 118
註 120
第4章 『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の分業概念の差違 124
はじめに 124
第1節 「私的所有の起源」の問題 124
第2節 分業と生産力の概念 127
第3節 分割されざる全体的人間 132
第4節 分業概念の差異と連続性 134
おわりに 135
註 136
第5章 『ドイツ・イデオロギー』の疎外論 141
はじめに 141
第1節 記述的概念と規範的概念 141
第2節 人間概念への批判 142
第3節 疎外論の曲解への批判 148
第4節 疎外の止揚のための戦略 152
おわりに 156
註 156
第6章 エンゲルスと『ドイツ・イデオロギー』 166
はじめに 166
第1節 エンゲルスの回想の評価 166
第2節 「エンゲルス主導説」なるもの 168
第3節 私的所有の批判から疎外された労働の批判へ 172
第4節 『経済学・哲学草稿』の課題の解決 175
おわりに 177
註 178
第7章 『共産党宣言』の真正社会主義批判 191
はじめに 191
第1節 マルクスにとっての真正社会主義─ヘスを中心に─ 191
第2節 『共産党宣言』における真正社会主義批判 194
第3節 『ドイツ・イデオロギー』における真正社会主義批判 199
第4節 『共産党宣言』の哲学の発掘 202
おわりに 204
註 205
第8章 エンゲルスと疎外論の変質 208
はじめに 208
第1節 経済学批判と疎外論 208
第2節 規範的批判から歴史信仰へ 212
第3節 エンゲルスの自己批判 216
おわりに 218
註 218
第9章 「物象化」論の虚妄性 221
はじめに 221
第1節 「模写と構成のアウフヘーベン」なるもの 222
第2節 廣松物象化論とマルクス物象化論 227
第3節 『直接的生産過程の諸結果』の疎外論 229
第4節 廣松物象化論の実践的帰結 233
おわりに 235
註 236
結論 244
参考文献 247
後書き 260
前書き
本論文の目的は疎外論超克説を反駁することである。疎外論超克説とは、若きカール・マルクスの諸著作、取り分け『経済学・哲学草稿』において全面的に展開された疎外論が、後にマルクス自身の諸著作、特に『ドイツ・イデオロギー』において自己批判的に超克されてしまったという説である。
この説を批判するのは、明らかな謬説であるにもかかわらず、マルクス解釈の世界において、なかんずくわが国において、根強い影響力を保っているからである。本論文はこの説を批判することを通して、マルクスにおける疎外論の発展という観点を提示しようと試みる。この観点に基づいて、マルクス疎外論の現代的可能性を模索することこそ、今日のマルクス研究に求められている姿勢だと考えるが故にである。
序章では、1932年に発表された『経済学・哲学草稿』の解釈史を振り返り、この草稿の核心をなす疎外論的思考が、その批判的機能のゆえに旧ソ連・東欧のマルクス主義者たちによって不当に過小評価されていたことを跡付ける。そして、『経済学・哲学草稿』はマルクスの若き日の未熟な作品ではなく、その中では疎外論というマルクスの思想的核心が既に基本的に確立されているのではないかということと、さらにまた、マルクスの疎外概念には、事実を説明するための記述的概念としての側面とともに、対象を批判するための基準を設定する規範的概念としての側面もあるということ、その上で、『経済学・哲学草稿』の疎外論に基づく自主管理社会主義の構想がマルクスの社会主義思想の原像なのではないかということを明確にするよう試みる。
第1章では、序章で確認されたマルクス疎外論の特徴である疎外概念の規範的概念としての側面が、いかなる経緯で形成されたのかを探るために、マルクスが独自の批判哲学を確立する以前の最初期マルクスを検討することによって、マルクスの最も根本的な問題意識を明かにするよう試みる。ここでは1837年の父親宛の手紙と、1841年の学位論文『デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異』を検討する。父への手紙で青年マルクスは、「現にあるものとあるべきものとの完全な対立」、すなわち存在と当為の関係の問題にぶつかり、概念には事実を説明するための記述的機能のみならず、事実を批判するための規範的機能があるとして、存在と当為を外面的に接合するのではなく、概念において内在的に相互媒介させ、概念の歴史的発展の相の下に存在と当為の統一を捉えようとするヘーゲル哲学の中に、この問題の解決を求めた。つまり、「あるべきもの」は、現象から切り離された彼岸の世界でではなく、現象的な此岸の世界である「あるもの」の世界の中でのみ実現可能だという観点であり、この観点は、ヘーゲル主義と決別した後にもしっかりとマルクスの諸著作の中に残り続ける重要なモチーフである。『学位論文』では、エピクロス原子論の解釈に寄せて、まだヘーゲル主義に彩られた最初のマルクス疎外論の展開が見られることを明確にするよう努める。それは、原子の直線からの偏りというデモクリトスにはないエピクロス独特の想定を、ヘーゲルのように否定的に評価するのではなく、むしろエピクロス独自の理論的貢献として高く評価せんとする文脈において展開される。
第1章で、概念を記述的であると共に規範的でもあるものとして捉えることがマルクスの基本的な観点であることを確認した後を受けて、第2章では、序章で論じた『経済学・哲学草稿』を取り上げ、マルクス疎外論の基本構造を明確にしようと試みる。ここでは、マルクス疎外論の基本構造を解明する手段の一つとして、論争の余地のある問題の一つである『経済学・哲学草稿』における対象化(Vergegenstaendlichung)概念と疎外(Entfremdung)概念を区別すべきか否かという問題を取り上げて、この両概念がマルクスにおいてはっきりと区別されていることを明らかにする。なぜなら、この両概念の区別はルカーチが言うように、マルクスの唯物論に基づく疎外論とヘーゲルの観念論に基づく疎外論との違いを際だたせるからである。従ってこの両概念の区別は、マルクス疎外論の基本構造を構成する要素の一つである。対象化と疎外を正しく区別できずに誤って混同してしまうのは、『経済学・哲学草稿』読解に際して、ヘーゲル疎外論の基本構造をパラフレーズしている文章群と、ヘーゲルとは異なるマルクス独自の疎外論を積極的に展開している文章群を明確に峻別し損なうことに由来する。
第3章では第2章と共に、『経済学・哲学草稿』を取り上げる。ここでは、マルクス疎外論の基本構造を明確にするための手段の一つとして私的所有は疎外された労働の結果であるという『経済学・哲学草稿』の中心理論の一つを検討する。この理論は、それが『経済学・哲学草稿』の疎外論の核心を指示するものにもかかわらず、その曖昧さから疎外論超克説としばしば結び付けられて来た。典型的なのは、私的所有の原因を疎外された労働に求めることは必然的に、論点先取の虚偽による循環論法に陥ることになるという論難である。確かにこの理論は誤って解釈されると疎外論の理論的欠陥を表明するものとして、疎外論超克説の有力な根拠であるかのように現れる。しかし、正しく把握されれば、この理論は何ら疎外論の欠陥を示すものではないことがわかる。そしてこの理論は、疎外の止揚は単に私的所有の廃棄のみでは達成されず、疎外された労働そのものの止揚によってしか実現され得ないということの理論的根拠として、重要な意義を持っている。
第2章と第3章での『経済学・哲学草稿』への考察を受けて、第4章から第6章にかけては『ドイツ・イデオロギー』を主題的に取り上げ、疎外論超克説を直接的に反駁する。その意味で、これらの3章は、本論文の中心的内容を形成する。第4章では、疎外論超克説を反駁するために、『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』を繋ぐものを発見することを課題とする。『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の比較検討を通してわかることは、分業概念が両著作を繋ぐ鍵となる概念ではないかということである。分業概念を鍵概念とすることで、若きマルクスは分業概念を深めることによって、唯物史観への道を突き進んだのである。それはまた、マルクスが疎外論を発展させることによって、唯物史観への道を突き進んだということでもある。第4章では、分業概念を疎外論の中心概念の一つとして把握することによってマルクスが、疎外されざる人間を分割されざる「全体的人間」として構想できたということを明らかにしようと試みる。
第5章では、『ドイツ・イデオロギー』における疎外概念批判を検討し、それが疎外論超克説とは結び付かないことを論証する。『ドイツ・イデオロギー』の真正社会主義批判がマルクス自身の自己批判を含意しているという理解を反駁し、『ドイツ・イデオロギー』の唯物史観は、疎外論を超克した上にではなく、疎外論の発展の上に打ち立てられた理論であることを明確にする。
第6章では、『ドイツ・イデオロギー』における唯物史観の形成過程に関するいわゆる「エンゲルス主導説」を批判する。エンゲルス主導説とは、唯物史観の主要なアイデアを提供したのはマルクスではなくてエンゲルスであり、『ドイツ・イデオロギー』時点のマルクスはエンゲルスに遅れをとっていたという学説である。この説は一見緻密な文献考証に裏付けられているように見えるが、その実極めて恣意的な憶測であることを明確にする。『経済学・哲学草稿』と若きエンゲルスの『国民経済学批判大綱』との疎外論の差異という、これまでの研究では殆ど留意されて来なかった問題意識が問題を解く鍵であることを明らかにしようと試みる。
第7章では、第4章から第6章までの考察を受けて、『共産党宣言』においても疎外論は超克されておらず、むしろ疎外論が発展的に貫徹していることを確認する。そのために、『共産党宣言』の真正社会主義批判の中に疎外論的思考のマルクス自身による自己批判を見ようとする疎外論超克説を論駁しようと試みる。
これまでの考察からある程度、マルクス疎外論の規範的な批判理論としての側面が重要であるということが明らかになったと思われるが、第8章では、マルクスの方は規範的な疎外論の立場に終生忠実であったにもかかわらず、エンゲルスが若き日のこの正しい立場を後になって自ら放棄してしまったことを問題にする。
これまでの諸章では、マルクスのテキストの解釈により疎外論超克説を反駁することを目指したが、第9章ではこれまでの考察を踏まえて、わが国を代表する疎外論超克論者であるマルクス主義哲学者故廣松渉氏の哲学を批判的に検討する。彼は近代の主客二元論を超える事的世界観を提唱した。彼によるとこの世界観は、マルクスが疎外論を超克した上で打ち立てた物象化論に基づいている。しかし、現実のマルクスは主体と客体の弁証法に基づいて資本主義を批判的に考察したのであり、マルクスの物象化概念は、疎外概念と本質的に区別されるものではなく、疎外概念と密接不可分なものであるということを論証するよう努める。