最近MSチャットでキティーのキャラを使っているが、チャット中にトイレにいくと、鏡を見ていつもがっかりする。
そこに写る見慣れた中年男の顔・・・鏡に自分が写る当然の現象・・・
期待がうらぎられたのでがっかりするのだ、私はいったい何を期待しているのだろう?
そう、そこに中年男ではなくキティーが写る事を期待しているのだ。
齢35にして初めて気づいた、私の夢、それは「私はキティーになりたい」
私の仕事中のこと(私はスーパーの店員)だった。私は仕事柄、人の顔を見ては微笑みかける。
その少年の顔を見て微笑みかけた時のことである。彼は視線を私から自分の左手に移すと、左手の指を数本立てた。
それは私に何かを伝えようとしている様だった・・・・
その形は、紛れも無く「フレミングの左手の法則」 何が言いたいんだろう?
彼には何か特殊な磁場が感じられるのか?それとも法則を理解できずに悩んでいるのか?
勿論、私が違う可能性も考えなかったわけではない。
彼は私に「僕は3歳(2かもしれない)」と伝えたかったのかも・・・
少年は母親の押すショッピングカートに乗ったまま去っていった。
先日夢をみた。
私が買い物に行く夢だった。目的は酒だったか タバコだったか定かではないが、○○商店向かった。
ところが店が見つからない、人に聞くと移転したとのことだった。
そこで私は羽田空港に下り立った、商談でも人探しでもない。買い物なのに何故飛行機まで使ったのかは謎だ。
羽田空港は最近新しくなったらしく、ガイドのお姉さんがボードの前でなにやら説明していた。
空港は滑走路までエアドームで覆われていて、その規模は東京ドームが幾つ入るなどと・・・・
その後、私が○○商店にたどり着いたかははっきりしないが、おそらくたどり着く前に目がさめたらしい。
目がさめた後に疑問をもったため、私はそのガイドのお姉さんに質問することができなかった。
「飛行機はどこから飛ぶの?」
先日、父を車に乗せた。
普段はカーラジオをつけていることが多い私だが、その日はCDをかけていた。
カーステから流れるピーター、ポール&マリーの憂いのある歌声を耳にした父は、
「若い人はやかましい音楽を聴くが、君は静かな音楽がすきだね、やはりインテリだね」と言った。
この場合の「インテリ」とは、いやみでもなければ、知性的だという誉め言葉でも無いと私は感じた。
「インテリだね」が「日本人だね」でも「北国の人だね」でも「歳とったな」でもいいのだ。
私がブラームスやベートーベンを好んだ頃、若いときはそういうものに引かれるものだと言い、
シンフォニーを華美だと感じ、バロックや静かなソナタ等を愛する父・・・・・
その父からの「やはり私の息子だな」という愛のこもった台詞だと私には感じた。
連奏式のCDチェンジャーはその後ミルト・ジャクソンの美しいビブラホーンの響きを奏でた。
父が聞いたのはそこまでだが、次のCDはグレン・ミラー・バンド、グレン・ミラー生前の録音である。
あまりCDを持っていない私は、シンフォニー等の長い曲を除いて、車に合いそうな持っているCDを
全部チャンジャーに突っ込んでいる。
実はグレン・ミラーの次はM.C.A.T.、その1曲めは、彼の大ヒット曲「Bomb A Head」
うははは、父に聞かれんで良かった・・・・
ボンバヘッ!!!
人によっては変わったブドウの食べ方をされる方もいるようだが、
我が家では皆 皮を押し 実を心持吸い出す様にし中身だけ口に入れるという、標準的な食べ方をする。
いや、していたというべきか。1人の男が出現するまでは・・・・
甥の浩太は果物が大好きなのだが上手に食べられないせいか、皮ごと食べたり、
皮ごと口に入れた後、皮だけ出したりと、今までも変わった食べ方をしてきた。
しかし、今年の食べ方は・・・・一段と変わっていた。
ブドウの種類によって食べ方が違うかもしれないが、それは彼が種無しブドウを食べたときだった。
房から一粒のブドウを取り、口元へと運ぶ。
そして、皮をつまみ、中身だけを口の中へ、皮は手に残っている。
「おお!上手くなったな」と、私は心のなかで感心した。
満足そうに味わった後、彼は次の行動にでた。
手に残った皮を口のなかに、そしてその皮を食べてしまった。
次の粒を房からとり、また中身を味わった後で、皮を味わう。
彼の皿には他の子と違い、房の中の枝のようなものだけが残った。
どんな食べ方をしようと自由だが・・・・・
浩太よ、美味いか?
祭りにて
両親と三緒・浩太を連れて、北海道神宮祭のよみせに行った。
北海道神宮祭のよみせは神宮から離れた札幌の中心部に近い公園に開かれる。
あまりの人ごみのため、子供たちはすぐに飽きてしまい、綿飴だけ買って帰ることにした。
浩太にはすでに綿飴を買いに行く気力も無く、三緒と母と私で綿飴を買いに行った。
三緒に二人分の綿飴を選ばせた。まず浩太のためにダンゴ3兄弟の絵の付いたものを選んだ。
そして、自分の分として、悩んだあげくポムポムプリン絵の付いたものを選んだ。
周りにはハローキティーやマイメロディーが並んでいる・・・・・
私は、「え?こっちにキティーもあるよ、キティーじゃなくていいの?」と聞いた。
三緒は「いいの、これが好きなの」と答えた。
私は、三緒は天邪鬼だから、みんなが持ってないのがいいのかな?と思った。
そう、その時 私は、「三緒はポムポムプリンが好きなんだ」とは全く思わなかった。
自分の趣味を中心に・・・・・
私には こんなおじさんがいなくて良かった・・・
追記
もしかしたら、中身の多そうなのを選んだのかなぁ?
この夏、3人の甥・姪を連れて海に行った。
一人で連れていく覚悟だったのだが、母も行ってくれることになった。
子供たちだけでは、腰までしか入らないようにさせ、何度か私達が付き添って深いところに連れて行った。
上の子2人が母と沖に行った後を、私は浩太を抱えて追って行った。
途中で私は貝を見つけ、浩太にそっと手渡し、お兄ちゃんに生きてる貝を見つけたって自慢しろと言った。
札幌に近いこの海では春はともかく、この季節には貝は沖でしか見つからない。
この貝も、誰かが沖で取って捨てた物だろう。
浩太が「僕貝みつけた〜」と言うと、裕也が「すげ〜」と褒めちぎった。
これがわがままながらも、長男の裕也の優しい所だ。
浩太はすっかり有頂天。
彼らが遊んでいる間、私はその貝をポケットに預かった。
帰りにシャワーを浴びる時、その貝をテーブルに置き、浩太を洗ってやり、自分もシャワーをあびた。
すると何時の間にか貝はなくなっていた。
さっき居た中学生が持って帰ったか、海の家の人が捨ててしまったか・・・
「やばい」と思ったが、浩太に「貝無くなっちゃった」と言っても、あまり反応が無かったので安心して帰った。
私に貰った物だからしょうがないくらいに思ってくれたかな?と思ったりもした。
しかし・・・それは考えが甘かった。
家に帰った彼は私に向かって聞いた「Qちゃんぼくの見つけた貝どうしたの?」
その後浩太は、入院中の彼の母にも貝を見つけた話を得意げに話したということだが、
私は彼が「嘘」をついているのでは無いことを知っている。
それは彼には「私から貝を貰った記憶」が無いことが確かだからだ。
彼の記憶はいつのまにか(おそらく裕也に貝を見つけたことを誉められたときに)「作られた」のである。
彼の母は、貝をどの様に取ったか聞いた時の返事がおかしいと思ったとのことだが、
それはきっと、彼自身も、どうして思い出せないのかもどかしかったに違いない。
あなた達には0歳・1歳などに負った怪我の瞬間を傍から見たように覚えていることは無いだろうか?
人の(特に子供の)記憶は、このようにしばしば「作られる」ようである。
また夢をみた。
大きな画面でNECのパソコンのTVCMが流れていた。
主演は菅原文太。最近の優しいおじさん路線ではなく、渋く決めていた。やはりかっこいい。
誰かが言った「富士通の健さんに対抗して文太か」
わたしはそれを聞いて「なるほど」と思った。それだけの夢だった。
落ちは無い。なんでこんな夢みたんだか・・・・